2010-02-25

「ネルソン提督の血」を飲んだ話

私が今回フィールドワークしてきたノーフォーク州の偉人と言えば、何といってもイギリス海軍の伝説の提督、ホレーショ・ネルソンなわけです。小学生の頃に帆船の本を読み、戦艦H.M.S.ヴィクトリーと共にその名前を知った私は、それから漠然と彼に憧れを抱き続けてきたのです(しかし帆船自体の美しさという意味では、「ソヴリン・オブ・ザ・シーズ」の方が好きだったりもする)。ひょんなことから、彼が酒宴を張ったパブが現存していると知り、その訪問が、今回の旅のひそかな楽しみでもありました。以下、訪問日の夜に私が書いた日記の中を抜粋します。けっこう個人的なことも書いてあるんで恥ずかしい部分はありますが、笑って飛ばしてください。

Norfolk scene02
雪に雨に霰に快晴、と噂通りに天気が変わる英国らしい一日であった今日、事前調査の段階でもかなり興味をそそられていた、ネルソン提督ゆかりのパブ「The Lord Nelson」に行ってきた。このパブは彼の生誕地であるバーナムソープ村(今回のベースであるWellsから西へ車で15分くらいのやや内陸)にあって、1793年、フランス革命軍に対抗すべく彼が出征する前日にここで酒宴を張ったと史実にある。ちなみにネルソンの名前を冠したパブは英国全土に星の数ほどあるのだが、その嚆矢がここなんだそうだ。

Lord Nelson

パブとしての歴史は1600年代からという古い建物だけあって、低い天井と細かく分けられた区画が印象的。パブスペースには大きなマホガニーのテーブルが3つ。そこを囲むように雑多なデザインの無垢材の椅子が無造作に置かれている。暖炉には小さな薪が燃えていて、小さなおき火が赤々としていた。バーカウンターはあるものの古い郵便局の窓口みたいな感じで、ハンドポンプは立っていない。お客はここで酒をオーダーし、スタッフが一度中に引っ込んで商品を持ってくるというスタイル。
ディナータイムだったせいか、パブのお客はまばら。冬場だけにみんなローカル。座って、静かに飲んでいる。オレも端っこに席をとり、まずはこのパブのご近所さんでもあるFox Breweryが造るNelson's Blood Bitter5.5%をハーフで。
Nelson's Blood Bitter 5.5%
うーむ。甘くてビターな、どっちかと言うとストロングエールだよね。赤みがかった深いアンバーな外見に仕上げたあたり「名前ありきのスペックかな」と若干のあざとさを感じたりもする(イヤだよね、こういう深読み)。まあ、嫌いじゃないけど好きなエールでもないのでさっさと片付けて、ここの名物Nelson's BloodとLady Hamilton's Nip(ハミルトン夫人の一口酒)というスパイスラム2種を試すことにする。 ノージングすると、前者はクローブが、後者はアニスが効いてるね。 ちなみにNipには、「一噛み、酷評、乳首」といった意味もあって、なかなか意味深な名称なのだ。
Nelson's Blood Rum
Lady Hamilton's Nip Rum

このラムが「ネルソンの血」と呼ばれるゆえんは、史実に求めることができる。彼は1805年に、かの有名なトラファルガーの海戦で戦死(彼の得意技であった接近戦術が災いして、当時の精度の低い銃にもかかわらず至近距離で狙撃されたらしい)したんだけど、その遺体は腐敗させずに本国に移送するために船上(もちろん、あのH.M.Sヴィクトリーの甲板で!)でラム酒漬け(!!)にされた。ところがイギリスに着いてみるとそのラムが空だったらしい。理由は船員たちがネルソンにあやかるべく「漬け汁」をすべて盗み飲みしてしまったとされていて(笑)、それがラム酒=ネルソンの血となった次第(クローブは後世の尾ひれとでも言おうか)。そういう訳で、ノーフォークのエールにも「Nelson’sなんとか」という銘柄が多いのだ(醸造酒とスピリッツは根本が違うような気もするが)。ちなみにハミルトン夫人というのはネルソンの愛人で、生まれは云々…と書きたいところではあるが、まあざっくり言えば彼女は公娼で身を立てたわけです。こういう人の生涯を今あげつらうのはちょっとアレなんで、興味のある方は、どうぞご自身で調べてみてください…。

さて、こんな酒とこんな場所が揃えば、やはり飲むシチュエーションにもこだわりたい。酒を仕事しているオレには、少なからず「究極の酒」というべき経験があるのだが、それは例外なく、屋外なんだよな。そしてメチルやケミカルなものでなければ、アルコールはどんなものでも構わない(ロシア人はメチルでもOKらしいが…って、死ぬぞorz)。となれば、「ネルソンの血」をノーフォークの寒空の下で飲むしかないでしょう。「血」が入ったショットグラスを手に、ネルソンがそこをくぐって出て行ったという低いドア(ドアの上に、そう但し書きがしてある)をくぐって外に出る。
Nelson's Doorway

今日は格別に寒い。内陸だけになお寒い。外の空気を楽しむ時間もそこそこに、スパイスラムをぐっとあおる。甘い。冷気でこわばった身体が一瞬でほどけていく。アルコール度数は40度弱くらいか。ここまで寒いと、無調整原酒至上主義者のオレであっても、添加された糖分がある種の暖かさを感じさせてくれていいもんだなと思ったりもする。うまいかまずいかって訊かれたら、はっきり後者だけどね。

この2カ月のこと、いや5年のことを思って、何とはなしにしみじみと外を見上げれば、頂天には天の川が真っ白に流れている。その中にオリオン座があり、オリオン大星雲が肉眼ではっきりと見える。あ、オレ帰国してもまだ根なし草なんだよな…。白いため息に南方のスパイスアロマとサトウキビのニュアンスが混じって、暗い冷気に溶けていく。

くそったれにどん底な現状を日本に残したまま、くそったれに寒いノーフォークに「外こもり」して、くそったれに美しい星空を見上げながら、くそったれなご当地スピリッツを飲む。パブの中の静かな喧騒はここまで届かず、オレと森と放牧地と、ため息の出るような満天の星空だけ。オリオンが不意に曇ったように見えたのは、イギリスの変わりやすい天候のためだけではあるまい。

酒と状況が織りなすその美しい一瞬のために、オレはいつも旅先で、屋外で、酒を飲むのだ。そうじゃないと一人で飲めないから。

明日は、コナン・ドイルが「踊る人形」を書いたパブを探してHappisboroughまで行くつもり。そこで笠井潔の「探偵小説論」なぞ読みながら、20世紀と探偵小説について考えてみようと思う。なーんてカッコいいこと言っても、ま、ローカル達と飲んだくれて終わるんだろうけど。

旅はきっと、危機感がないとヴィヴィッドなものにならないよね。人生もひとつの旅であるとするのなら、人生もまた。

theme : Restaurant
genre : Gourmet

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olubayo

Author:olubayo
日本唯一の英国リアルエールエージェント兼セラーマン。大阪外国語大学卒業後、某大手新聞社を早期退職。翻訳をしながら某料理雑誌記者という二足のワラジ時代を経て、一念発起してシチリアの超自然派ワイナリーで修業。ワイナリー設立の資金集めのため、もう一つの偉大な醸造酒文化である英国の「カスクコンディションリアルエール」を日本に紹介する仕事に奮闘中~
お店でリアルエールを提供したい方、一度飲んでみたい方、業態開発をお考えの方、みなさん大歓迎です。どこへでも説明に伺いますよ!

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